安保関連法案が可決されたのは2015年の夏の事でした。国会を取り巻く群衆のシュプレヒコール、SEALDSなどの各種市民団体など、ニュースを騒がせたことは記憶に新しいと思います。
そして、2017年の今、「テロ等準備罪」を新設する「組織犯罪処罰法改正案」などが審議されています。
戦争を始めるのは時の政権です。始まった戦争は終わらせなければなりません。政権に終戦を決意する能力がない場合、敗戦という現実を国民が受け入れなければなりません。
1945年の夏がそうでした。
ちょっと固いテーマかもしれませんが、やみくもに「反対」と言う前に、まずはどういうことなのか?を少しでも知ることも必要かと思います。そしてなぜ、「反対」すべきなのかを知る必要があります。
戦争のない世界を目指すためにも、戦争の時代を描いた作品を読みといてみましょう。
Contents
戦争回避という幻想「昭和16年夏の敗戦」
日本が戦争を始めたのは、真珠湾攻撃からではありません。
史実を挙げるなら、日本軍の真珠湾奇襲攻撃は1941年(昭和16年)、その2年前の1939年にはドイツがヨーロッパで宣戦布告しています。さらに遡る事3年前の1936年には日本で二.二六事件が起こっています。この時点で日本は戦争の最中にいたのです。
1931年には満州事変が起こり、1932年には日本の傀儡政権満洲国が建国され、この事件を機に1933年、日本は国際連盟を脱退し、国際的に孤立の道を歩んでいたからです。
興味深いドキュメント(小説)があります。猪瀬 直樹氏の著作「昭和16年夏の敗戦」です。
膨大な資料とインタビューから再構成したもので、真珠湾攻撃があった1941年には「日本は米国との戦争に負ける」との結論を一部政府関係者は認識していたのです。
負けると分かっていた戦争を回避出来ませんでした。
戦争終結という悲劇 「日本のいちばん長い日 」
勝てる見込みのない戦争をいかに終わらせるのか。第二次大戦末期にはそう考えていた人もいたはずです。
半藤 一利著「日本のいちばん長い日 」は昭和20年8月14日正午からいわゆる「玉音放送」までの24時間に起きた出来事を埋もれていた資料を元に再現したもので、映画化もされています。
ドキュメントの形式をとっていますが、当時の一部軍部が戦争終結に最後まで抵抗して、皇居を占拠しようとする光景は緊迫感に満ちています。帝都・東京にも爆撃があり、広島・長崎には原爆まで投下されてなお、戦争続行に固執する軍部とそれを説得し、襲撃される大臣・官僚たち。
歴史の教科書には載らない出来事を学んで下さい。
戦争の狂気 大岡昇平「野火」
戦争という非常事態は人間に狂気をもたらします。
大岡昇平著「野火」。2015年に塚本晋也主演・監督で、1959年には市川崑監督、船越英二主演で映画化されています。
敗戦色の濃いフィリピンを舞台に、敗走を続ける日本兵が次第に人から人でないものへ変化して行きます。それを戦況のせいにするのか、人の持つ本来の狂気の表れなのか。
最初に映画化されたのは、1959年は終戦(敗戦)からわずか14年です。この「野火」の原作が発表されたのは1951年ですから戦争が終わって6年後という事になります。いかに当時の日本で戦争を語る事の意味が問われていたかが分かります。
フィクションとしての戦争 恩田陸「ねじの回転」
日本の歴史の分水嶺、二.二六事件を題材にした意欲作があります。恩田陸著「ねじの回転」がそれです。
歴史に「IF」はありませんが、その「IF」を大胆に取り入れ、歴史上の出来事を実験してしまう、一見荒唐無稽な物語です。しかし、見方を変えるなら、戦争こそが荒唐無稽な行為であり歴史上の事実をやり直す事が出来たなら、と誰もが思うでしょう。
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歴史の結果を人間が変える事は出来るのか、そうした「IF」は、もしも戦争が避けられるのなら、といった「HOPE」の裏返しかも知れません。
戦争を語ろう
戦争に関する小説やドキュメントをご紹介しました。
戦争を語る時、政治は切り離せません。過去の戦争を決めたのは政治・政権だからです。「戦争反対」を唱える事は簡単です。戦争を避けるための一番簡単な行動は選挙で投票する事です。デモで政治は変わりません。六十年安保闘争も七十年の時もそうでした。
政治を語るなら、まずは戦争についても考えてみることが必要です。ぜひ一度これらの本を手に取ってみてほしいと思います。